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2018.2.26更新
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ビフォー・アロハシャツ アロハ以前のハワイアンファッション

ハワイの民族衣装という価値を確立しているアロハシャツ。でも、アロハシャツが誕生したのは1930年代。ハワイにはそれよりもずっと前から人々が暮らしていました。

アロハシャツの誕生前、ハワイアンはどんなファッションに身を包んでいたのでしょうか。

 

 

マロとパウ


ハワイを発見したのはイギリスの探検家キャプテン・ジェームズ・クックです。

発見といっても、ハワイにはそのずっと前から、クック船長の帆船よりも簡単な装備のダブルハルカヌーを操って太平洋を乗り越えた勇気あるポリネシア人達が住んでいました。

ポリネシア人が身につけていたのは「カパ」と呼ばれる布で作られた最低限の衣服だけでした。

男は“マロ”という下帯(ふんどしですね)、女は“パウ”というスカート、時には寒さを防ぐため鳥の羽でつくったケープを羽織っていました。常夏のハワイではこれで充分だったのです。

 

カパ


カパは、ワウケ(桑)の樹皮をはがし、その内側の皮だけを水にさらし、丸太の上で何日も辛抱強く棍棒で叩いて柔らかくしてつくられました。

これは主に女性が担当する作業でした。一見単純そうですが、よい生地に仕上げるためには熟練の技が必要だったため技量のある女性職人は尊敬を集めました。カパをつくる女性の姿はアロハシャツの柄としても残っています。

ハワイアンは、カパにカラフルな木の汁や泥、炭で染められ木型を使っても洋画ほどされ、木の実で香りをつけてマロやパウに仕立てました。ケープに使われた南国の鳥の羽も鮮やかなものをだったので、初期の頃からハワイアンファッションはかなりトロピカルなものだったと思われます。

 

※サモアにこれと製法が似ている「タパ」という生地あり、ハワイにも輸出されていたためハワイ産のカパと混同されますが模様や色が異なる別物です。

 

 

クック船長のシャツ。ハワイアンが初めて出会った西洋


ハワイに初めて「シャツ」を持ち込んだのはクック船長です。

1778年、ハワイを訪れたクック船長にカラニオプウ王は鳥の羽で折ったマントとかぶり物などを送りました(ハワイ王のマントは見事なもので、カメハメハ大王の使っていたものはビショップ・ミュージアムで見ることができます)。

クック船長は返礼としてリネンのシャツと短剣を贈りました。

 

これがハワイアンが手にする初めてのシャツだったはずです。クック船長のシャツこそ本当のアロハシャツの元祖といえるかも知れません。

 

ハワイアンから大歓迎を受けたクック船長たち。見たこともない軍服を着て、りっぱな船に乗ってやってきた彼らをハワイアンは「神の使い」だと思い込んでいました。

 

しかし、そのため、クック船長は非業の最期を遂げることになります。本国に帰る途中、嵐に遭ってハワイに引き返してきたクック船長達をみて、島の住民達は「神の使いが嵐ごときで引き返してくるわけはない、俺たちは騙されたんだ!」とばかりに怒り狂い、勢い余って船長を殺してしまいます。

神様扱いされて調子に乗っていた船乗り側にも責任のある話なのでハワイアンばかりを責めるわけにはいきません。

 

 

クックの遺品。血染めのシャツ


船長の遺体は海に埋葬されました。この時、残された血染めのシャツは、10年後、スペイン人の探検家の手に渡った後、ハワイ王へ改めて献上されたらしいのですが、残念ながらその後どうしたのかはわかっていません。

クック船長がハワイを発見したことで、ハワイは西洋と東洋の文化が接する要衝の地になり、ハワイアン・ファッションの西洋化が急速に進んでいきます。

 

 

パレオと西洋の服飾文化


1810年代、イギリス製のプリント地がタヒチそしてハワイへと輸入されます。

木綿製の生地で“パレオ”と呼ばれました。丈夫で模様も美しいパレオは、つくるのに手間がかかる割に耐久性や耐水性の低いタパを駆逐していきます。

 

パレオと一緒に西洋の服飾文化もハワイに上陸しました。

1820年にハワイを訪れた宣教師は「ハワイの王室では西洋式の衣服を着るのが当たり前になっている。ある女王はキャラコのガウンの下にギンガムシャツ、また別の女王は襟をゴールドのレースで飾ったベルベットのガウンを羽織り、羽のリースとビーズのネックレス姿で出迎えたくれた」という記録を残しています。

 

 

ムームーとホロキュ


1820年代、ハワイの女性達は宣教師の妻達をまねて、針と糸を使って服を縫うようになります。王室で使われていたサテン、レース、モスリン、シルク、クレープといった現代でもお馴染みの生地も一般化しました。

 

やがて西洋のドレスをハワイスタイルにアレンジした「ムームー」が登場します。今でもフラの衣装や正式のウェディングドレスとして受け継がれているホロキュ(ホロクまたはホロムー)もほぼ同じ時期に誕生しました。

 

 

パラカ


アロハシャツの元祖といわれている「パラカ」も1800年代の初めにハワイに上陸します。

 

パラカは欧米の船乗りが来ていた長袖の上着“フロック”が語源だといわれていますい。ハワイアンはフロックに使われていた生地のことを「フロック」と呼んでいて、それがいつの間にか「パラカ」に変わり、パラカでつくられた木綿地のチェック柄のシャツも「パラカ」と呼ばれるようになりました。

 

服のフロック→フロック生地→パラカ生地→チェック柄のパラカ生地→パラカシャツ

 

というわけです。

 

さらにこのパカラが日本人移民と出会うことでアロハシャツへと発展していきます。

 

パラカと日本人との出会いがアロハシャツの起源です。実際に「アロハシャツ」と名のつくシャツはいつ、どこで、誰が誕生させたのか……これは日本の「カツ丼」誕生と同じくらい諸説あります。次はそのあたりをお話ししたいな、と考えています。

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