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2018.2.13更新
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ブルーハワイでアロハ エルビス・プレスリーとハワイの蜜月

 

映画『ブルーハワイ』は往年の大スター、エルビス・プレスリーの代表作のひとつです。オリジナルカクテルの誕生やアロハシャツの普及にも一役買ったエルビス。1973年に世界で初めて人工衛星を使い、世界同時中継された伝説のコンサート「アロハ・フロム・ハワイ」をはじめ、ハワイとの繋がりが強かったエルビス。ハワイに残る彼の軌跡を辿ります。

 

 

エルビス・プレスリーとハワイ


まだまだ人種差別がされている時代、白人的なカントリー&ウエスタンとアフリカンアメリカン的要素の強いリズム&ブルースを掛け合わせたような音楽を発信したエルビス。そんな画期的な人物だったからでしょうか、エルビスは西洋と東洋の人々が共存しているハワイが大のお気に入りでした。

デビューから数年後の1957年にはオアフ島でコンサートを開いています。その後も立て続けに、『ブルーハワイ』(1961年)、『ガール!ガール!ガール!』(1962年)、『ハワイアン・パラダイス』(1966年)の3本の映画を撮影し、1961年にはパール・ハーバーの「アリゾナ記念館」を建築する費用づくりのためにチャリティーコンサートを行っています。

撮影やコンサート、休暇で公私とも30年間にわたって何度もハワイを訪れています。

 

 

ブルーハワイ誕生秘話


ハワイでの定宿はハワイアン・ヴィレッジ・ホテル(現在のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキ・ビーチ・リゾート_Hilton Hawaiian Village Waikiki Beach Resort)。ワイキキの喧噪から離れた立地と、いつも利用しているアラワイ・ヘリポートからのアクセスがよかったことに加えて、なによりもエルビスのプライベートを尊重するスタッフの質の良さが、お気に入りの理由だったといわれています。

ハワイアン・ヴィレッジ・ホテルの名物カクテルが「ブルーハワイ」です。映画『ブルーハワイ』が元になって作られたカクテルだと思っている観光客が多いけれど、実はこのカクテル。1957年に誕生しています。

他のカクテルと同様、誕生秘話には諸説あります。

地元では当時バーテンダーを勤めていたハリー・イーがエルビスのリクエストに応えて作り出したという説が有力です。カクテルが先で映画が後、でも残念なことに映画にブルーハワイは登場しないのです。是非、エルビスが飲んでいるシーンを加えて欲しかった。

現在、ブルーハワイはラムベースのカクテルということになっていますが、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキ・ビーチ・リゾートのタパ・バーでは、ハワイアン・ヴィレッジ・ホテル時代からのオリジナル・レシピ、ウオッカベースのブルーハワイを楽しめます。

 

 

エルビスとアロハシャツ


エルビスにとっては13枚目のゴールドディスク(※)になった映画『ブルーハワイ』のサウンドトラック(1961年)。アルバムジャケット写真でエルビスが着ている赤いアロハシャツは、シャヒーン社製のディアレ・タパ・プリントです。

シャヒーン社は、アロハシャツを全世界に広めた実績を持つテキスタイル・デザイナー/アルフレッド・シャヒーンが1948年に起ちあげた伝説の一流ブランドです。デザインを担当したのは当時、新進気鋭の才能といわれたボブ・サトー。

人々の印象に残るアルバムジャケット。その撮影のために一級品を用意してくるところに、アロハシャツを含めたアパレル関連をハワイの基幹産業にしたい、という当時のハワイの民間企業と公共団体の並々ならぬ思いがこめられています。

その声に応えるように、映画の中でエルビスはカハラなど他の有名メーカーのアロハシャツをシーンに合わせて着こなしています。映画を見てもらえばわかるのですが、その着こなしがまた格好いいんですよね。ハワイアンの間でエルビスは「キング・オブ・アロハ」と呼ばれています。

アルバムジャケットでは明るい赤をベースにしたタパ柄のアロハシャツを着ていますが、劇中は抑えめの色合いで通しています。これがアロハシャツは派手な衣装などではなく、どんな場面でも着こなせるファッションアイテムだ、という考えを広める助けになったのでしょう。

エルビスと同じデザインのアロハシャツを着てみたい、着こなしてみたい、そう考えるファンは現在もたくさんいます。アルバムジャケットで使われたのと同じデザインのシャヒーン製アロハシャツは当時から入手困難で、SUN SURFから復刻版も発売されました。今となっては復刻版もレアなコレクターズアイテムです。

ちなみにこの時、エルビスが着ていたのはコットン素材のアロハシャツ。1960年代、レーヨンはアロハシャツの素材として主流ではなくなっています。ボタンの素材はメタルなので、アンティークを探すならそのあたりにこだわるといいですよ。

※1988年まで100万枚以上売れたレコードに与えられていた称号。日本でいえばミリオン・セラー。プレスリーのすごさがわかります。

 

 

世界の半数が聴いた『アロハ・フロム・ハワイ』


エルビスとハワイの蜜月は晩年まで続きます。

1973年1月、ホノルルで開かれたコンサート『アロハ・フロム・ハワイ』は世界で初めて衛星生中継され、40カ国15億人以上の人々がそれを視聴しました。当時の世界人口が39億人ですから、世界のほぼ半数の人が番組を見たことになります。

アロハ・フロム・ハワイも、1966年に癌で亡くなったハワイの有名なシンガーソングライター/クイ・リー(クイオカラニ・リー)の遺族が設立した「クイ・リー癌基金」のためのチャリティーコンサートでした。クイ・リーはエルビスのヒットナンバー『I’ll Remember You』の作者です。

このコンサートの4年後、エルビス・プレスリーは42歳で没します。

コンサート会場に使われたニール S. ブライスデル・センターの正面玄関には等身大の銅像があります。現在でも聖地巡業者は絶えることなく、その首にはいつも熱心なファンがかけたレイが飾られています。

エルビス・プレスリーに興味が無かったという人でも、ハワイの風景の中でエルビスの歌声を聴いたことがきっかけでファンなってしまうことが珍しくありません。一度経験したら、あなたもハマってしまうと思いますよ。

 

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