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2017.12.15更新
ayaka
ハワイが産んだ世界誕生の物語!創世神話クムリポとハワイの神々

 

クムリポとはどんな神話?


クムリポはハワイに伝えられている創世神話です。元来ハワイ語には文字が存在せず、王家の間でメレ(歌)とフラ(舞踏)による口伝で伝えられていました。18世紀の初頭に王子の誕生を祝って編纂作業が行われたと伝えられています。

「クムリポ」とはハワイ語で「(生命の)起源」を意味します。クムリポは16の歌・2102行から構成され、それぞれに別の「時代」について表現されています。

天地創造を歌った第1の時代に始まり、神々、生物、そして人類の誕生が語られ、後半は歴代のハワイ王の系譜と年代記へと移っていきますが、これは元が王家の正当性や神性の箔付けにあった為と考えられています。

こうした「国産み」「神の末裔としての王」という要素は日本の「記紀」をはじめ世界各地の創世神話に普遍的に見られるものになっています。

 

ハワイの神々とハワイ人の由来


特に、ポリネシアの神話とは類似性が強くなっています。例えばハワイ神話では戦いの神クー、農耕の神ロノ、生命の神カネ、海の神カナロアの4柱が4大神として神話の中心となっていますが、これらの神はポリネシアに散らばる無数の島々でも神として崇められていた存在です。

このような伝承の類似性からハワイ人の祖先はタヒチなどのポリネシアからの移民ではないかと考えられていて、神話の内容も元は同じ神話だったものが時を経るにつれて内容が分かれていったものと考えられています。

ただし地方によって信仰の度合いは異なり、例えばハワイではクーやロノが他の2柱に比べて大きく扱われているのに対し、他の島のポリネシア神話ではタンガロア(カナロアに相当)が主神として扱われているのが一般的です。

クムリポは複数の伝承を取りまとめた叙事詩である為、人類の起源については複数の物語が語られています。その1つにおいて人祖とされているのが男性神ワケアと女性神パパです。まずこの2柱が結婚し子を成すことでハワイ諸島の島々が形作られました。

オアフ島など、浮気相手との間にできた島もいくつかありましたが、最終的にはワケアとパパは和解しています。島が形作られた後、ワケアは自らの娘ホクラカニとの間に子をもうけます。最初の子ハロアナカラウパパリは死産であり、埋葬した場所から芽を出したのがカロ(タロイモ)です。

そして2番目の子ハロアは自らの兄弟であるハワイの島々やタロイモを大切にし、やがてハワイ人の祖先となりました。この考えは今のハワイの人々にも受け継がれており、ハワイ州のモットー「大地の生命は正義によって保持される(Ua mau ke ea o ka aina I ka pono)」にも、それは表れています。

他には4大神の1柱カネが起源だと言う物語、パパと同じ神と言う説もある女神ハウメアの脳から人が生まれたという物語などもあります。

 

他に、ハワイで特に信仰されている神として火山の女神ペレがいます。この女神はハワイ島のキラウエア火山を擬人化したもので、炎や溶岩を操る権能を持っています。

容姿はとても美しいものの、性格は情熱的かつ嫉妬深く、彼女の機嫌を損ねてしまった為に焼き殺されたり岩にされた神話の人物は多数います。南の島(タヒチあるいはサモア)から移住してきた神とも伝えられており、ハワイ人が南方から移住してきた証拠の1つとされています。

荒神として恐れられる一方、踊りの神としての側面もあり、フラ・カヒコ(古典フラ)にはペレに捧げる物もいくつかあります。また火山噴火という天の時、地の利を得てハワイ諸島を統一したカメハメハ王はペレを味方に付けているとも称えられました。

他の神々や祖先信仰が年月を経るごとに存在感と信仰を失っていく一方、巨大かつ現在も激しく活動を続けるキラウエア火山を拠所としたペレ信仰は今も受け継がれています。

 

ハワイ文化の黄昏とクムリポの公開


大航海時代、ヨーロッパ人は大西洋を越え、太平洋にも進出して来ました。ジェームズ・クックによりハワイ島が「発見」されたのは1778年のことです。

当時ハワイ諸島に統一国家を建設したカメハメハ王は、ヨーロッパ人の武器などを積極的に採り入れることで統一国家ハワイ王国を作り上げました。そして後を継いだカメハメハ2世及び副王カアフマヌが古くからのしきたりや社会構造を積極的に破壊して新しい国家作りを進めたことに加え、ヨーロッパ人が「野蛮」なハワイを「文明化」しようとしたため、ハワイの元々の文化や伝承は徐々に失われていきました。

他の太平洋の島々やアメリカ大陸でも同じような事が行われ、今では忘れ去られてしまった文化の数は計り知れません。ハワイ神話を文章で記録した情報源が、プロテスタントに改宗したハワイ人によるものだったため、研究者がハワイの伝承を記録したつもりが、あからさまにキリスト教の創世記の内容を翻案したものだった、という悲喜劇もあります。

そんな中、クムリポは現在でも伝えられている歴史的にも貴重な伝承です。ハワイ王国第7代国王カラカウアはハワイ文化の復興に尽力した王ですが、彼は晩年の1889年、それまで王室内でのみ伝えられていたクムリポを広く公表しました。そしてその妹で最後のハワイ王リリウオカラニ女王はクムリポの英語訳を退位後の1897年に発表し、世界的に有名になりました。

 

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