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2017.12.22更新
ayaka
ハワイ伝説のサーファー「エディ・アイカウ」が残したものとは

今では日本でもすっかりおなじみとなっているサーフィンですが、かつてはハワイなどごく一部の地域で行なわれていた競技でした。ハワイがアメリカに併合され、徐々にその文化が伝わったことで、サーフィンも普及していきましたが、サーフィンがハワイ発祥であることを知らしめたのは、現地の伝説のサーファーといわれています。

■伝説のサーファー


エディ・アイカウはハワイ出身のサーファーで、ハワイはもちろん、世界各国のサーファーの間で知られる伝説のサーファーです。かつてのハワイ王朝の神官の血筋を持ち、様々なビッグウェーブに立ち向かった男として、多くの人から尊敬を集めています。

小さいころからサーフィンにのめりこんでおり、早いうちからビッグウェーブサーフィンにいち早く挑戦して、一流のサーファーとして注目を集めました。

ビッグウェーブサーフィンは非常に大きな波に乗ることを前提としているため、危険度の高い波に挑戦するエディ・アイカウの名前は一気に広まり、その人生にも多大な影響を与えました。

 

■今も残る栄光の記録


エディ・アイカウがハワイ伝説のサーファーと呼ばれる所以は、数多くの記録を達成してきたことにあります。当時からサーフィンの大会は数多く開催されていましたが、エディはそれらの大会で数々の大記録を打ち立てており、ハワイだけではなく、海外の大会でも優秀な成績を収めています。

中でも有名なのが、1967年にワイメアベイで記録されたビッグウェーブでのサーフィンの成功です。そのときの波は15m以上にも及んだといわれており、命の危険もある大波に立ち向かったエディの勇姿は今でも語り継がれています。

ビッグウェーブサーフィンは当時下火を迎えていたといいますが、エディの活躍や死後に行なわれた大会を通してその知名度は広まり、今でも立派なサーフィンの一ジャンルとして人気を集めています。ビッグウェーブを求めてハワイに行くサーファーも後を絶たず、大会の観戦のために旅行する方も少なくありません。

 

■海の安全を守るために


エディ・アイカウにはサーファーとしての知名度だけでなく、ライフガードとしての知名度も有名です。当時サーファーとしての知名度が上がっていたエディ・アイカウのスキルを見込んで、ホノルル当局がワイメアベイの初代ライフガードにスカウトしたことが始まりでした。

ワイメアベイはサーフィンスポットとして有名ですが、大きい波が何度も押し寄せるため、海難事故が多発している場所としても有名でした。しかし、エディがライフガードとして働き出してからは、多くのサーファーがエディによって救助され、以後10年間は海難事故による死者が発生しませんでした。当時は海難救助のための装備も充実しておらず、自分の体とボードを頼りに海難救助に挑んでいたことを考えると、その記録は驚異的といえます。

もちろん今でもサーフィンによる海難事故は発生していますが、安全第一で行動すればそれほど大きな危険はありません。サーフィンを楽しむ際は、きちんと装備を確認して、危険な場所にはなるべく近寄らないなどの安全対策を自分で用意するようにしましょう。ハワイなど海外でサーフィンを楽しもうとする場合は、現地マナーに準じた行動も求められるので、現地ガイドを雇うなどの準備も必要です。

 

■伝説のサーファーの家族と家族で楽しむサーフィン


エディ・アイカウのことを語る際、忘れてはいけないのが家族の存在です。エディは5人兄弟の次男坊で、兄弟もエディと同じくサーフィンに挑戦していました。ライフガードとしてエディと一緒に働いていた兄弟もおり、ライフセービング関連の記録は、兄弟なしでは得られなかった成果でしょう。

サーフィンに家族で挑戦するという方も少なくありません。女性用や子供用のサーフボードなども数多く販売されているので、家族全員で波に乗ることも可能です。自分でやり方を教えるのも良いのですが、より安全を求めるなら専門のスクールなどに通わせると良いでしょう。子供向けのスクールも開催されているので、そちらも合わせてチェックしてみてください。

 

■伝説が残したもの


数多くの伝説を打ち立ててきたエディ・アイカウですが、その記録は1970年代後半で途絶えています。その理由はエディの死によるもので、エディ・アイカウは1978年の3月に乗船していたホクレア号が遭難した際、助けを呼ぶために海に飛び出して行方知れずになってしまいました。32年というあまりにも早すぎる生涯を終えたことに多くの人が悲しみ、現在ホクレア号にはエディの死を悼むプレートが掲げられています。

わずか32年という短い生涯でしたが、エディ・アイカウが打ち立ててきた多くの伝説は、その後のサーフィン業界に多大な影響を与えています。例えば「クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディ・アイカウ」は、名前の通り、エディ・アイカウのことを記念して開催された大会です。エディが愛したワイメアベイにビッグウェーブが出たときに不定期開催されるこの大会は、過去に数回しか開催されていませんが、その全てに多くのサーファーが参加し、エディの弟のクライドも大会で勝利しています。

エディをはじめとする多くのサーファーの尽力で、サーフィンの魅力は世界各国に広がっています。日本でも様々な海岸でサーフィンが行なわれていますが、ハワイでサーフィンを行いたいという方は後を絶ちません。大きな大会に出るだけでなく、小さい波に乗ってのんびりと楽しむサーフィンも格別です。

 

■勇気をくれる言葉


もう一つエディの伝説によって残ったのが、「Eddie would go」というフレーズです。「エディなら行くぜ」というこのフレーズは、数多くの大波に立ち向かい、最後の最後まで海で生きてきたエディの勇気を称えるもので、多くの人が、このフレーズに勇気付けられてきました。ハワイでサーフィンに挑戦したいという方はもちろん、何か新しいことに挑戦する勇気が欲しい方は、「Eddie would go」を胸に新しい一歩を踏み出してみましょう。

 

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